旅行業界への参入を目指す起業家にとって、事業計画とともに重要になるのが「いつから営業を開始できるのか」というスケジューリングです。特に、新年度が始まる春からのスタートを目指す方は多いですが、そこには思わぬ「時間的な落とし穴」が潜んでいます。前回、旅行会社の設立手続きについてお話を伺った行政書士の阪本浩毅先生に、今回はさらに一歩踏み込み、多くの起業家が目指す「年度初めの開業」を成功させるための、具体的なスケジューリングと注意点について、プロの視点から詳しく解説していただきます。
春に開業したい!でも、なぜ注意が必要?
──阪本さん、前回はありがとうございました。設立手続きの話、大変参考になりました。今回は、より実践的な「スケジュール」についてお伺いします。やはり「4月の新年度から事業をスタートしたい」と考える方は多いのでしょうか?
阪本:はい、こんにちは。ええ、そのご相談は非常に多いですね。キリが良いですし、春は旅行シーズンでもあるので、事業を始めるには良いタイミングだとお考えになるようです。しかし、実はこの「年度初め」の開業を目指す際には、特有のスケジュールに注意が必要なのです。
──特有のスケジュール、ですか?
阪本:はい。多くの旅行会社は、高額な「営業保証金」を法務局に預ける代わりに、旅行業協会に入会して、より少額な「弁済業務保証金分担金」を納付する方法で登録を行います。この旅行業協会の入会審査のスケジュールが、年間を通して一定ではないのです。
──旅行業協会、というと?
阪本:旅行業協会には、全国旅行業協会(ANTA)と日本旅行業協会(JATA)という2つの大きな団体があります。ANTAさんは地域密着型の旅行会社が多く、JATAさんは海外旅行に強い大手の旅行会社が多く加盟しているイメージですね。どちらの協会に入会するにしても、それぞれの審査スケジュールに沿って準備を進める必要があります。
──その審査スケジュールが、年度初めは通常と違うのですね。
阪本:その通りです。例えば、例年、ANTAの東京都支部さんでは、通常は2月に1回程度のペースで入会審査が行われますが、年度の変わり目である2月の審査の後、次の審査が5月まで開かれない、ということがあります。つまり、約3ヶ月間、審査の機会がない期間が発生するわけです。この5月の審査を逃してしまうと、開業がさらに数ヶ月先延ばしになってしまいます。
開業時期から逆算する準備スケジュール
──なるほど。では、その5月の審査に間に合わせるには、いつ頃から準備を始めれば間に合うのでしょうか?
阪本:そこが重要なポイントです。「まだ先だ」と思っていると、あっという間に間に合わなくなります。許認可手続きは「逆算思考」が重要です。5月中旬の審査を受けるためには、その1週間ほど前、つまり5月の初旬までに入会に必要な書類をすべて提出しなければなりません。
──ゴールデンウィークもあるので、実質的には4月下旬がデッドラインになりそうですね。
阪本:おっしゃる通りです。余裕をもって4月下旬の提出を目指すとなると、そこから逆算して、3月には準備をスタートさせないと間に合わない可能性が非常に高いです。
──3月からですか!具体的に、書類提出までに何を終えておく必要があるのでしょうか?
阪本:協会の入会書類には、会社の定款や登記簿謄本、そして法人口座の残高証明書などが含まれます。つまり、書類提出の締切日までに、少なくとも以下の準備をすべて完了させておく必要があります。
まず大前提として、国家資格者である「旅行業務取扱管理者」を確保すること。次に、事業の本拠地となる「営業所」の賃貸契約などを済ませること。そして、前回お話しした手順に沿って「会社設立」の手続きを完了させること。会社ができたら、すぐに「法人口座」を開設し、そこに資本金を移動させて、銀行から「残高証明書」を発行してもらいます。ここまでやって、ようやく入会申請のスタートラインに立てるのです。
──会社設立も、申請すればすぐに登記簿謄本が手に入るわけではないのですよね?
阪本:ええ、そこも実務上の落とし穴です。法務局に登記を申請してから、審査が完了して登記簿謄本や会社の印鑑証明書が取得できるようになるまで、どんなにスムーズに進んでも1週間から2週間はかかります。特に3月は法務局の繁忙期でもあるため、通常より時間がかかることも想定して、早め早めに動くことが肝心です。
最速でも開業は夏?リアルな日程感
──仮に、3月から準備を始めて、5月中旬の協会審査に無事パスできたとします。これで、すぐにでも営業を開始できるのでしょうか?
阪本:残念ながら、そうではありません。ここからさらにいくつかのステップを踏む必要があります。少し長くなりますが、具体的な流れをご説明しますね。
まず、5月中旬に協会の入会審査に通ると、協会から入会を承諾書面が届くのが5月下旬頃になります。その承諾書を添付して、ようやく6月頭に行政庁(例えば東京都庁)へ「旅行業登録申請」を行うことができます。
──ようやく行政への申請ですね。
阪本:はい。しかし、行政庁への申請も、いつでもできるわけではありません。例えば東京都の場合、申請は事前予約制で、週に3日しか受け付けていません。そして、申請してから登録が完了するまでの標準的な審査期間が約1ヶ月です。つまり、6月頭に申請して、登録完了の通知書が届くのが、早くても7月上旬になります。
──7月上旬!3月から準備して、もう夏になっているのですね。
阪本:そうなんです。そして、その通知書を受け取った後に、協会へ弁済業務保証金分担金や入会金・年会費を納付し、その証明書を行政庁へ届け出て、ようやく正式に登録が完了します。そこから、旅行業法令で定められた登録票や約款などを営業所に掲示して、晴れて営業開始となります。ですから、最速で進めても、実際に旅行業をスタートできるのは7月上旬以降になる、と見込んでおくのが現実的です。
「4ヶ月も待てない!」という場合の代替案
──なるほど…。かなり時間がかかるのですね。「そんなに待てずに、もっと早く始めたい」という場合、何か打つ手はあるのでしょうか?
阪本:はい、いくつか方法はあります。一つは、そもそも旅行業協会に入会しない、という選択肢です。その場合、弁済業務保証金分担金(第三種なら60万円)の代わりに、営業保証金(第三種なら300万円)を法務局に供託することになります。初期費用は大幅に増えますが、協会の審査スケジュールに縛られずに、会社の設立後すぐに行政庁へ登録申請を進めることができます。
──資金力があれば、時間を買うことができるのですね。
阪本:そういうことになりますね。もう一つの方法は、加盟する協会をANTAではなくJATAにすることを検討する、という手です。JATAは審査のスケジュールや締切日がANTAと異なるため、ご自身の準備の進捗状況とタイミングが合えば、そちらの方が早く進められる可能性があります。どちらの方法がご自身の事業計画や資金計画にとって最適か、慎重にシミュレーションすることが重要です。
──ありがとうございます。開業時期から逆算した、緻密な計画が何よりも重要だということがよく分かりました。
阪本:はい。コロナ禍を経て旅行業界への注目が再び高まっていますが、焦りは禁物です。「いつまでに開業したい」という目標から逆算して、やるべきことを着実にクリアしていくことが、スムーズなスタートアップの鍵となります。もし、ご自身のスケジュール管理や資金計画に少しでも不安を感じたら、私たちのような専門家をうまく活用していただければと思います。
